中国観光あれこれ情報:Category 中国各都市情報

【九州発着中国線便利な時刻表(10年03月28日~10年10月23日)】ダウンロード可能

29 9月, 22:29, by admin
【九州発着中国線時刻表(10年03月28日~10年10月23日)】PDFダウンロード可能 このページのコンテンツには、Adobe Flash Player の最新バージョンが必要です。 【九州発着中国線時刻表(10年03月28日~10年10月23日)】PDFダウンロード可能

 陜西省

07 6月, 00:39, by admin
西安 (せいあん)        関中平野の中心に位置する。北には渭水が流れ、南には秦嶺山脈が連なる。西周が初めてここに都を定めたのは紀元前1134年のこと。以来、十一の王朝がこの地を都としてきた。その間およそ2000年、古都と呼ぶにふさわしい歴史を持っている。   シルクロードの東の起点でもある。早くも漢の時代、絹は砂漠を越え、遙かローマの都にまで運ばれていた。   また、日本との関わりの深い町でもある。阿倍仲麻呂、空海、多くの日本人が遣隋使、遣唐使の時代から足跡を残している。 <西安城壁>(せいあんじょうへき)   隋・唐の長安城の皇城の基礎の上に明代初期に城が築かれた。それが、今残る西安の城壁である。中国の中世後期の代表的な城壁のひとつである。たたし、面積は唐の時代の九分の一に縮小されている。逆に唐の時代の長安城の大きさが知れる。   黄土をつき固めて築かれており、最下層は石灰・土・濡米を混ぜあわせて強固にしてある…

山東省

07 6月, 00:37, by admin
山東省の省都。黄河の下流域、四千年前に栄えた龍山文化の発祥地のひとつ。春秋戦国時代に斉国の都であった。漢代 に済水の南に位置することから済南と呼ばれるようになった。済水はいまは大清河と名を変えたが、黄河の氾濫などで川筋は時代により何度も変遷してきてい る。済 古来より水の都として知られ、町のあちこちに泉が湧く。済南72泉などという。 <山東省博物館>(さんとうしょうはくぶっかん) 市の南、千仏山の麓にある。1955年に新中国初の省クラスの博物館として正式に設立。翌56年に地志的な基本陳列を完成し開館。8000点余りの自然科 学関係の標本と13万点余りの革命・歴史関係の文物を収蔵する。 歴史の古い山東省だけに、七千万年前の山東恐竜の化石、四十万年まえの猿人の化石、四千年前の龍山文化の陶器、春秋戦国時代の「孫子」「管子」「墨子」な どの古籍など多彩。 <?突泉>(しゃくとつせん) 済南市の西門橋の南方0.…

新疆ウイグル自治区

07 6月, 00:32, by admin
楼蘭 (ろうらん)       「往古、西域に楼蘭と呼ぶ小さい国があった」。井上靖の『楼蘭』の書き出しである。   楼蘭が中国の史書に初めて登場するのは、『史記』「匈奴伝」。匈奴の王・冒頓単于が漢の皇帝・孝文帝(在位:紀元前180~157年)に宛てた手紙の中で、自らの威を誇るために列挙した彼ら支配する西域の国々の一つとして書かれている。 「天がお立てになった匈奴の大単于は、敬しみて皇帝に挨拶を送る。お変わりないか。(略)天の降したもうた福運によって、軍官卒はすぐれ、戦馬は力強く、月氏を滅亡させ、全員を斬り殺したり降伏させたりした。楼蘭・烏孫・呼ケツおよびその近辺の二十六か国を平定し、すべて匈奴の領土とした」(岩波文庫/小川環樹・今鷹真・福島吉彦訳)、と。   玉門関を西に向かう隊商が最初に出会うのオアシス、ここよりタリム盆地の北縁を天山山脈の南麓に沿って進む天山南路(西域北路)と、タリム盆地の南縁を崑崙山脈の北…

寧夏回族自治区

07 6月, 00:29, by admin
同心 (どうしん)  寧夏回族自治区のほぼ中央に位置する。銀川市の南方200キロ。黄河の支流である清水河が流れる。 <同心清真大寺>(どうしんせいしんだいじ)  寧夏回族自治区の人口の三分の一は回族である。回族の多くはイスラム教を信仰する。それだけに自治区にはイスラム寺院が多く、その数は1800余りに達すると言われる。   その中でも最大のイスラム寺院が同心清真大寺である。創建は、判然としないが一般には明代とされる。   19世紀以降、寧夏地方におけるイスラム教の布教、特にイスラム神秘主義の中心的役割を果たしてきた。イスラム神秘主義とは、イスラム社会で8~9世紀に始まった運動で、イスラム共同体が世俗化することに反発し、精神の内面や道徳的純化を強調し、神との直接対話や神との合一をめざすものである。中国へは、18世紀の半ばに、アラビア半島から帰国した馬明心導師が、甘粛省で布教を開始し、やがて寧夏の地にも伝わったとされる。…

青海省

07 6月, 00:25, by admin
青海湖 (せいかいこ)   西寧の西150キロ。中国最大の塩湖である。周囲は360キロメートル、面積は4560方キロメートル。琵琶湖の六倍である。青海省の省名の由来になっている。モンゴル語ではココノール、青い湖の意である。   湖の真ん中に海心山という島があり、島内にはラマ教の寺院がある。また、湖の北西部には鳥島と名付けられた島がある。毎年10数万羽の鳥が青海湖に飛来するが、そのうちの三分の一は鳥島に集中する。春になると斑頭雁(かりの一種)、鳶色頭カモメ(カモメの一湟種)、アカツクシガモ、鵜など数十種の鳥が島を覆い尽くすようにやってくる。 青海湖に生息する魚は一種類のみ。湟魚という。鯉の種類で鱗がなく、学名を裸鯉魚という。   青海湖の標高は、3266メートル。かなり高い。西寧からくると手前に日月峠がある。ここが中国内陸とチベットの分水嶺で、ここを越えると裸麦の農耕の世界から草原の遊牧の世界へと景色は一変する。この峠に唐…

甘粛省

07 6月, 00:22, by admin
 嘉峪関 (かよくかん)  万里の長城の西端。東の端は河北省の山海関。その間6000キロに及ぶ。   北の合黎山、南の祁連山に挟まれた峡谷になっており、西からの攻撃を防ぐには最適の場所である。関が設けられたのは明代の14世紀、モンゴル族の侵攻を防ぐ目的で馮勝将軍によって建てられた。   嘉峪山の麓にあるで嘉峪関と名付けられた。 山海関が「天下第一関」と呼ばれるのに対し、嘉峪関は「天下雄関」と呼ばれる。   高台に築かれた関城から南北に城壁が延び、南北の祁連山、合黎山も連なる。関城は台形をなし、周囲733メートル、面積3万3500平方メートル。周囲は高さ11メートルの城壁で囲まれている。   関城は内城、甕城、羅城、外城からなる。内城は関城の中枢で西の城壁は166メートル、東の城壁は154メートル、南北は160メートル。台形の形をしている。東西に門があり、東門を「光華門」、西門を「柔遠門」という。それぞれの門に楼城が…

 陜西省

07 6月, 00:20, by admin
西安 (せいあん)        関中平野の中心に位置する。北には渭水が流れ、南には秦嶺山脈が連なる。西周が初めてここに都を定めたのは紀元前1134年のこと。以来、十一の王朝がこの地を都としてきた。その間およそ2000年、古都と呼ぶにふさわしい歴史を持っている。   シルクロードの東の起点でもある。早くも漢の時代、絹は砂漠を越え、遙かローマの都にまで運ばれていた。   また、日本との関わりの深い町でもある。阿倍仲麻呂、空海、多くの日本人が遣隋使、遣唐使の時代から足跡を残している。 <西安城壁>(せいあんじょうへき)   隋・唐の長安城の皇城の基礎の上に明代初期に城が築かれた。それが、今残る西安の城壁である。中国の中世後期の代表的な城壁のひとつである。たたし、面積は唐の時代の九分の一に縮小されている。逆に唐の時代の長安城の大きさが知れる。   黄土をつき固めて築かれており、最下層は石灰・土・濡米を混ぜあわせて強固にしてある…

江蘇省

06 6月, 22:59, by admin
南京  人口623万人(郊外部分も含む)の巨大都市。江蘇省の省都で経済的に重要な位置を担っている都市だ。同時に南京は歴史の町でもある。北京、西安、洛陽と並ぶ中国の四大古都のうちの一つで、三国時代、呉の孫権がここに都を移して以来、10の王朝が南京に都を置いた。この悠久の歴史を背景に数々のみどころがある。   中山陵〔Zhong1 Shan1 Ling2〕は孫文の陵墓。高さ73m(海抜は159m)の小高い丘になっており、参道は392の石段になっている。墓室には大理石の孫文の臥像があり、その下に遺体が安置される。秦淮河〔Qin2 Huai2 He2〕は揚子江の支流で全長約110キロメートル。秦の始皇帝が掘らせて形成されたとの伝説がある。六朝時代には沿岸に貴族や文人が多数住んだといわれ、その後一時さびれるが、再び明清時代に繁栄する。孔子廟〔Kong3 Zi3 Miao4〕は1034年に築かれた。現在周辺は繁華街となっている。南京大虐殺記念館〔Nan2 Jing1 Da4 Tu2 Sha1 Ji4 Nian2 Guan3〕は、中国に住むならば一…

安徽省

06 6月, 22:52, by admin
 ★合肥    合肥(HeiFei )は安徽省の省都で、紀元前221年の泰代に作られた町で、お濠に囲まれています。三国時代の古戦場としても有名で、そういえば、三国志に合肥の戦いとか出てきたかと。安徽省一帯は中国で最も貧しい地域でしたが、最近は近代化してきているようです。とはいえ、近代的な建物といえばホテルくらいで、町全体は古い建物がほとんどで、田舎町といった感じでした。気候は温暖ということですが、8月下旬は曇りで、暑くてムシムシしていました。 ★歙県     歙県は屯渓から27km北東にある。歙県の街には、許国石坊と呼ばれる牌坊が残っている。高さと幅が同じ11.54m、奥行きが6.77m、8本もの脚があるどっしりした作りで、1584年建造だというから今から400年以上も前の建築だ。石に施された彫刻も見事で、街の顔になっている。歙県の中心地だけあって、近代的な建物も立ってはいるが、一歩裏道に入ると、まだまだ古い町…

浙江省

06 6月, 22:48, by admin
 杭州        杭州は中国の歴史名城です。南宋王朝の150年間、杭州は首都としてもっとも栄えた時期を迎え、当時中国の最大の都市となりました。杭州はまた中国でもっとも有名な観光都市でもあります。西湖の美しい景色は古くから人々を魅了してきました。13世紀、マルコ・ポーロが数回にわたって杭州を訪ずれ、杭州を「世界で最も美しく華やかな都市」と称えました。    現在、杭州は浙江省(*)の省都です。地理的に、中国の東海岸に位置する浙江省は中国で日本にもっとも近いところです。1989年11月、杭州市は日本の福井市と姉妹都市になりました。(*:省は日本の県にあたる)   杭州は秦の時代に、始皇帝が銭塘県を設置したからはじまり、隋の時代から杭州と呼ばれようになった。   隋煬帝が杭州と北京を結ぶ京杭運河を開通させてから、中国の南北をつなぐ重要な交通と貿易の中心地となりました。9世紀から14人の皇帝もここに都をおきました。13世…

上海市

06 6月, 22:44, by admin
<外攤> (わいたん)   清朝が列強に上海の開港を認めたのは南京条約においてであった。1842年のこと。アヘン戦争に敗れ、香港の割譲、没収したアヘンの賠償、広州、厦門、福州、寧波、上海五港の開港などを認めさせられた条約である。 こうして、列強の中国侵出は本格化し、列強の上海進出は本格化する。1845年、イギリスが租界を設置すると、米国、フランス。やがて日本も租界をつくることになる。   その租界の象徴が外攤である。   黄浦江に沿って石造りの建物が建ち並んだ。欧米資本主義の強さの誇示であり、中国にあって中国でない場所であり、アールデコ、ルネッサンス、ゴシックなどの諸様式の展示場のようでもあった。それらの屋根屋根が切り取るスカイラインの美しさは広く世界中に喧伝されたものだ。   川下から、日本の占領期間中は児玉機関がはいっていたブロードウェイマンション(現上海大厦)、中国銀行総行(現中国銀行上海分行)、サッスーン…

チベット自治区

06 6月, 22:42, by admin
ラサ (拉薩)          チベット語で「神の地」を意味するという。標高3650メートル。チベットを東から西へ流れる大河・ヤルツァンボ河の支流であるキチュ川の北岸にある。チベット自治区の政治経済の中心であると同時に、チベット仏教という祈りの中心でもある。   観音菩薩の化身であるダライ・ラマの居住の地であったポタラ宮、巡礼の姿が絶えることない大昭寺。そのほか、ガンデン寺、デプン寺、セラ寺など、まさに「神の地」と呼ぶにふさわしい厳粛な祈りに満ちた街である。   ラサは、同時に、「太陽の都」とも呼ばれる。標高3658メートル。強い日差しが照りつける。街をゆくチベット人の頬は紫色に焼けている。見上げる空はどこまでもコバルトブルー。そういう意味でも別天地である。   成都から航空便で入るのが一般的であるが、普通の日本人は多かれ少なかれ、高山反応があるはずである。健康管理には十分な配慮が必要である。 <ジョカン>(大昭寺、だ…

四川省

06 6月, 22:39, by admin
自貢(じこう)        四川盆地の南部。沱江の流域にあたる。塩水の井戸が多く、千年にわたりその井戸水から塩を精製してきた歴史を持つ。塩都と呼ばれる。 自貢はまた、「恐竜の郷」としても知られる。周辺の40カ所以上の場所から恐竜の化石や恐竜の卵の化石が発掘され、一部は「恐竜博物館」に展示されている。 <シン海古塩井>(しんかいこえんせい)   自貢市の大安塩廠のなかにある。清の道光3年(1823)に井戸を掘り始め、同9年に完成して稼動を始めた。深さ1001.4メートル。   工場は他の井戸からの塩水で塩の精製は行っているが、この井戸自体はすでに使用していない。 <西秦会館>(せいしんかいかん)   別称を関帝廟、俗称を陳西廟といい、自貢市の市街にある。清代初期に陝西省から商人がやって来て塩業を営み大きな成功をおさめた。それらの塩商が乾隆元年(1736)から16年の歳月と5万両余りを費して建立。   面積は300…

貴州省

06 6月, 22:31, by admin
 凱里(がいり)   貴州省の黔東南ミヤオ族トン族自治州の州都。人口は80万人。このうち60万人が少数民族。ミアオ族が主である。   山には杉の木が多く、中国の人が「凱里」から連想するものは、杉とミヤオ族、トン族、漢方薬と言われる。漢方薬は山で採れる天麻(高山で採れる芋のようなもの)と杜仲(木の皮)が有名である。   海抜1000メートルから1200メートルの高地にあり、唐時代には流刑の場所であった。 「黔」という文字が元々示す意味は黒であり、同時に貴州の別名になっている。唐の文人・柳宗元に「黔之驢」という文章があり、これが中国の中学の教科書に採られていることから中国の人には親しい字になっている。 <自治州博物館>(じちしゅうはくぶつかん)   貴州省の人口は3000万人。そのうち三分の一が少数民族である。ミアオ族が一番多く300万人。ブイ族が次いで多く200万人、更にはトン族が100万人……。省には…

重慶市

06 6月, 22:28, by admin
◎ 重慶 重慶鵝嶺公園   起伏に富んだ市内で、ひときわ小高い丘の上にある公園。山頂には展望台を兼ねた塔があり、ここからゆったりと流れる長江と、行き交う大小の船を見ることができる。霧の町、重慶の名の通り、霧に囲む町の眺めは情緒に溢れる。この鵝嶺公園は、もともとは礼園だったが、宜園とも呼ばれた。清末(909-1911年)に重慶の初代商業会議所の会長の李耀庭の別荘として建てられたものだ。抗日戦争時期、蒋介石の夫妻「飛閣」という建物に半年住んだことがある。以後、鄧小平氏、劉伯承氏、賀竜氏などが泊まったことがある。  重慶羅漢寺   重慶羅漢寺、北宋治平年間(1064・1067)に作られており、祖月禅師が山開きをして仏教を開講していたのだ。最初は治平寺という名称だったが、明清になってから、寺に500羅漢を作って祀られており、羅漢の塑像が古風且つ質朴だったので、それが知られており、羅漢寺と改名され、今日に至る。千年近くも経ち、世の…

広西省

06 6月, 22:25, by admin
桂林     桂林は広西壮族白治区に属する。広西壮族白治区は略称を「桂」といい、中国の南都に位置し、南は南シナ海のトンキン湾に臨む。自治区人民政府の所在地は南寧市。   住民は壮族、漢族、ヤオ族、苗族、トン族、イ族、回族、水族、京族など。そのうち、三分の一を壮族が占める。   盆地状の地形に、丘陵が連なり、その間を縫って渓谷が縦横に走る。石灰岩がひろく分布しカルスト地形を形成し、奇峰がそびえ、鍾乳洞がおおい。   桂林は古くからその山水を称えられ、「桂林の山水天下に甲たり」などと言われている。 <桂林王城>(けいりんおうじょう)   桂林市の市街の中心部にある。明代の靖江王府。明の太祖洪武帝(朱元璋)の甥の子である朱守謙が靖江王としてこの地に封ぜられた。朱元璋は、中国統一後、一族を各地に配置し王朝の安定を図った。明が滅亡するまで、桂林は朱守謙の子孫によって治められていた。   造営の完成は1393年。周囲は約1.5…

広東省

06 6月, 22:23, by admin
広州  広東省の省都。広東省の略称は粤。中国の領域に属するのは秦の始皇帝の時代から。秦の滅亡後、秦の地方官であった趙陀が独立して南越王国を建てる。再び中国の支配下にはいるのは前漢の武帝の時代。   隋・唐の時代になると航路を利用した貿易が拡大し、広州は中国南部の貿易港として発展を遂げる。アラビア半島のイスラム商人も多く訪れるようになる。   宋の時代以降、シルクロードによる陸上の交通路の安全の確保が困難になったこともあり、海上貿易港としての広州の役割は更に拡大し、中国最大の貿易港となる。   気候は亜熱帯気候に属する。三毛作が可能で、シュロ、ガジュマル、芭蕉などの熱帯・亜熱帯の植物が多い。 <中山紀念堂>(ちゅうざんきねんどう)   広州市の越秀山の南麓にある。1931年、孫文(1866~1925)を記念して建てられた。   孫文は、中国革命の指導者。号は中山。広東省出身。清朝打倒のため、一八九四年興中会を組織。一九◯五年、…

海南省

06 6月, 22:13, by admin
三亜     海口に次ぐ海南省第二の都市である。   島の最南端に位置する。   何よりも、中国で一番とされる美しいビーチがあり、一年を通して泳げることから、中国では数少ないリゾート地としての発展が期待されている。 <亜龍湾国家旅游度假区>(ありゅうわんこっかりょゆうとかく)   全長8キロのビーチ。東洋のハワイを目指しての国家プロジェクト。白砂のビーチ、椰子の並木、青い海。海岸に沿って、リゾートホテルが建ち並ぶ。   海で泳いでもよし、ホテルのプールで泳いでもよし、ビーチのハンモックに揺られてもよし、貸し自転車を借りて海岸をサイクリングしてもよし。常夏の海南島を十分に楽しめるだけの設備が整っている。 <天涯海角>(てんがいかいかく)   三亜市の西、24キロにある。以前は、海南島の南端、重要な関所としての役割を担った場所であった。馬嶺山の山麓に当たり大きな石がころがっている。   その石に、清の雍正年間、時の崖州知…

福建省

06 6月, 22:11, by admin
福州     福建省の省都。ミン江の河口にある。台湾海峡を隔てて台湾と向かい合う。亜熱帯性海洋気候に属し、四季を通じて温暖な気候に恵まれている。最も寒いのは一月であるが、それとても平均温度は10.8度である。   市の中心鼎立する于山、烏山、屏山の三山と、白塔、烏塔の二塔が市のシンボルである。   歴史は古く、1988年に「福州建城2200年」の催しが開かれた。これは、戦国七雄のひとつ、趙の国がここに築城したという史書に基づく。   港湾都市としての地位を確立したのは宋の時代、さらに明・清時代には外国との貿易に関する手続きの司る市泊司もが設けられた。清末には中国最大の造船場が設けられ、海軍基地としても栄えた。   海に面し、また、人々に進取の精神の強いことから昔から多くの人が海外へ雄飛をはかってきた。「華僑のふるさと」などといわれる。一説では、世界中に250万人以上の福州出身の華僑がいるという。 <干山>(うざん) …