中国観光あれこれ情報:Archive 6月, 2010

上海市

06 6月, 22:44, by admin
<外攤> (わいたん)   清朝が列強に上海の開港を認めたのは南京条約においてであった。1842年のこと。アヘン戦争に敗れ、香港の割譲、没収したアヘンの賠償、広州、厦門、福州、寧波、上海五港の開港などを認めさせられた条約である。 こうして、列強の中国侵出は本格化し、列強の上海進出は本格化する。1845年、イギリスが租界を設置すると、米国、フランス。やがて日本も租界をつくることになる。   その租界の象徴が外攤である。   黄浦江に沿って石造りの建物が建ち並んだ。欧米資本主義の強さの誇示であり、中国にあって中国でない場所であり、アールデコ、ルネッサンス、ゴシックなどの諸様式の展示場のようでもあった。それらの屋根屋根が切り取るスカイラインの美しさは広く世界中に喧伝されたものだ。   川下から、日本の占領期間中は児玉機関がはいっていたブロードウェイマンション(現上海大厦)、中国銀行総行(現中国銀行上海分行)、サッスーン…

チベット自治区

06 6月, 22:42, by admin
ラサ (拉薩)          チベット語で「神の地」を意味するという。標高3650メートル。チベットを東から西へ流れる大河・ヤルツァンボ河の支流であるキチュ川の北岸にある。チベット自治区の政治経済の中心であると同時に、チベット仏教という祈りの中心でもある。   観音菩薩の化身であるダライ・ラマの居住の地であったポタラ宮、巡礼の姿が絶えることない大昭寺。そのほか、ガンデン寺、デプン寺、セラ寺など、まさに「神の地」と呼ぶにふさわしい厳粛な祈りに満ちた街である。   ラサは、同時に、「太陽の都」とも呼ばれる。標高3658メートル。強い日差しが照りつける。街をゆくチベット人の頬は紫色に焼けている。見上げる空はどこまでもコバルトブルー。そういう意味でも別天地である。   成都から航空便で入るのが一般的であるが、普通の日本人は多かれ少なかれ、高山反応があるはずである。健康管理には十分な配慮が必要である。 <ジョカン>(大昭寺、だ…

四川省

06 6月, 22:39, by admin
自貢(じこう)        四川盆地の南部。沱江の流域にあたる。塩水の井戸が多く、千年にわたりその井戸水から塩を精製してきた歴史を持つ。塩都と呼ばれる。 自貢はまた、「恐竜の郷」としても知られる。周辺の40カ所以上の場所から恐竜の化石や恐竜の卵の化石が発掘され、一部は「恐竜博物館」に展示されている。 <シン海古塩井>(しんかいこえんせい)   自貢市の大安塩廠のなかにある。清の道光3年(1823)に井戸を掘り始め、同9年に完成して稼動を始めた。深さ1001.4メートル。   工場は他の井戸からの塩水で塩の精製は行っているが、この井戸自体はすでに使用していない。 <西秦会館>(せいしんかいかん)   別称を関帝廟、俗称を陳西廟といい、自貢市の市街にある。清代初期に陝西省から商人がやって来て塩業を営み大きな成功をおさめた。それらの塩商が乾隆元年(1736)から16年の歳月と5万両余りを費して建立。   面積は300…

貴州省

06 6月, 22:31, by admin
 凱里(がいり)   貴州省の黔東南ミヤオ族トン族自治州の州都。人口は80万人。このうち60万人が少数民族。ミアオ族が主である。   山には杉の木が多く、中国の人が「凱里」から連想するものは、杉とミヤオ族、トン族、漢方薬と言われる。漢方薬は山で採れる天麻(高山で採れる芋のようなもの)と杜仲(木の皮)が有名である。   海抜1000メートルから1200メートルの高地にあり、唐時代には流刑の場所であった。 「黔」という文字が元々示す意味は黒であり、同時に貴州の別名になっている。唐の文人・柳宗元に「黔之驢」という文章があり、これが中国の中学の教科書に採られていることから中国の人には親しい字になっている。 <自治州博物館>(じちしゅうはくぶつかん)   貴州省の人口は3000万人。そのうち三分の一が少数民族である。ミアオ族が一番多く300万人。ブイ族が次いで多く200万人、更にはトン族が100万人……。省には…

重慶市

06 6月, 22:28, by admin
◎ 重慶 重慶鵝嶺公園   起伏に富んだ市内で、ひときわ小高い丘の上にある公園。山頂には展望台を兼ねた塔があり、ここからゆったりと流れる長江と、行き交う大小の船を見ることができる。霧の町、重慶の名の通り、霧に囲む町の眺めは情緒に溢れる。この鵝嶺公園は、もともとは礼園だったが、宜園とも呼ばれた。清末(909-1911年)に重慶の初代商業会議所の会長の李耀庭の別荘として建てられたものだ。抗日戦争時期、蒋介石の夫妻「飛閣」という建物に半年住んだことがある。以後、鄧小平氏、劉伯承氏、賀竜氏などが泊まったことがある。  重慶羅漢寺   重慶羅漢寺、北宋治平年間(1064・1067)に作られており、祖月禅師が山開きをして仏教を開講していたのだ。最初は治平寺という名称だったが、明清になってから、寺に500羅漢を作って祀られており、羅漢の塑像が古風且つ質朴だったので、それが知られており、羅漢寺と改名され、今日に至る。千年近くも経ち、世の…

広西省

06 6月, 22:25, by admin
桂林     桂林は広西壮族白治区に属する。広西壮族白治区は略称を「桂」といい、中国の南都に位置し、南は南シナ海のトンキン湾に臨む。自治区人民政府の所在地は南寧市。   住民は壮族、漢族、ヤオ族、苗族、トン族、イ族、回族、水族、京族など。そのうち、三分の一を壮族が占める。   盆地状の地形に、丘陵が連なり、その間を縫って渓谷が縦横に走る。石灰岩がひろく分布しカルスト地形を形成し、奇峰がそびえ、鍾乳洞がおおい。   桂林は古くからその山水を称えられ、「桂林の山水天下に甲たり」などと言われている。 <桂林王城>(けいりんおうじょう)   桂林市の市街の中心部にある。明代の靖江王府。明の太祖洪武帝(朱元璋)の甥の子である朱守謙が靖江王としてこの地に封ぜられた。朱元璋は、中国統一後、一族を各地に配置し王朝の安定を図った。明が滅亡するまで、桂林は朱守謙の子孫によって治められていた。   造営の完成は1393年。周囲は約1.5…

広東省

06 6月, 22:23, by admin
広州  広東省の省都。広東省の略称は粤。中国の領域に属するのは秦の始皇帝の時代から。秦の滅亡後、秦の地方官であった趙陀が独立して南越王国を建てる。再び中国の支配下にはいるのは前漢の武帝の時代。   隋・唐の時代になると航路を利用した貿易が拡大し、広州は中国南部の貿易港として発展を遂げる。アラビア半島のイスラム商人も多く訪れるようになる。   宋の時代以降、シルクロードによる陸上の交通路の安全の確保が困難になったこともあり、海上貿易港としての広州の役割は更に拡大し、中国最大の貿易港となる。   気候は亜熱帯気候に属する。三毛作が可能で、シュロ、ガジュマル、芭蕉などの熱帯・亜熱帯の植物が多い。 <中山紀念堂>(ちゅうざんきねんどう)   広州市の越秀山の南麓にある。1931年、孫文(1866~1925)を記念して建てられた。   孫文は、中国革命の指導者。号は中山。広東省出身。清朝打倒のため、一八九四年興中会を組織。一九◯五年、…

海南省

06 6月, 22:13, by admin
三亜     海口に次ぐ海南省第二の都市である。   島の最南端に位置する。   何よりも、中国で一番とされる美しいビーチがあり、一年を通して泳げることから、中国では数少ないリゾート地としての発展が期待されている。 <亜龍湾国家旅游度假区>(ありゅうわんこっかりょゆうとかく)   全長8キロのビーチ。東洋のハワイを目指しての国家プロジェクト。白砂のビーチ、椰子の並木、青い海。海岸に沿って、リゾートホテルが建ち並ぶ。   海で泳いでもよし、ホテルのプールで泳いでもよし、ビーチのハンモックに揺られてもよし、貸し自転車を借りて海岸をサイクリングしてもよし。常夏の海南島を十分に楽しめるだけの設備が整っている。 <天涯海角>(てんがいかいかく)   三亜市の西、24キロにある。以前は、海南島の南端、重要な関所としての役割を担った場所であった。馬嶺山の山麓に当たり大きな石がころがっている。   その石に、清の雍正年間、時の崖州知…

福建省

06 6月, 22:11, by admin
福州     福建省の省都。ミン江の河口にある。台湾海峡を隔てて台湾と向かい合う。亜熱帯性海洋気候に属し、四季を通じて温暖な気候に恵まれている。最も寒いのは一月であるが、それとても平均温度は10.8度である。   市の中心鼎立する于山、烏山、屏山の三山と、白塔、烏塔の二塔が市のシンボルである。   歴史は古く、1988年に「福州建城2200年」の催しが開かれた。これは、戦国七雄のひとつ、趙の国がここに築城したという史書に基づく。   港湾都市としての地位を確立したのは宋の時代、さらに明・清時代には外国との貿易に関する手続きの司る市泊司もが設けられた。清末には中国最大の造船場が設けられ、海軍基地としても栄えた。   海に面し、また、人々に進取の精神の強いことから昔から多くの人が海外へ雄飛をはかってきた。「華僑のふるさと」などといわれる。一説では、世界中に250万人以上の福州出身の華僑がいるという。 <干山>(うざん) …

湖南省

06 6月, 22:08, by admin
長沙     長沙は湖南省の省都。湖南省は中国の中南部。洞庭湖の南にあるため湖南と名付けられた。湖南の名が付けられたのは唐の時代からである。略称は湘。省の東部を南北に貫く湘江にちなむ。湘江は、洞庭湖に注ぐ。   春秋・戦国時代、黄河流域の中原の諸国とは違う文化・気質をもって現在の湖北省に栄えた楚の国から大量の楚人の流入があり、南楚と呼ばれた。 <湖南省博物館>(こなんしょうはくぶつかん  建物面積10,000平方メートル、所蔵品12万点を誇る。大きく、「湖南歴史文物陳列」と「馬王堆漢墓陳列」の二つの部分に分かれる。前者は、殷・周時代の青銅器と楚の漆木器に特徴がある。   この博物館で見逃せないのが、馬王堆漢墓から発掘された前漢時代の女性のミイラと、副葬品。   女性は、前漢初期の長沙国の丞相の妻とされるが、世界を驚かせたのは、2100年以上前のものにもかかわらず、完全な形で保存された遺体であった。少しも腐乱したところが…

河南省

06 6月, 22:05, by admin
開封   北宋時代の都があった所です。宋の時代というのは中国歴代の王朝の中でも芸術が花開いた時代です。博物館に並ぶ各時代の展示物の中でも宋代の作品には上品な繊細さがあって個人的には好みです。   北宋は水滸伝の舞台になった時代でもあります。北宋最後の皇帝・徽宗は文化的な生活を送り、政治には全く関心がなかったため民衆の生活は困窮していったようで、そうした事実が水滸伝の歴史的背景になっています。   ちなみに北宋はその後、金に攻め込まれ、杭州に都を移して南宋と名を変えます。杭州は僕が大好きな町の一つです。   宋時代の文化的な香りが嗅げたらなあと思って開封に行ってきました。そこにはかっての都の名残はありませんでしたが、文化の香りは何となく感じ取れました。 見所   相国寺は開封で最も有名な観光地ですが、普通の寺だろうと思ったので入りませんでした。町の中心にあります。   鉄塔は町の北にある塔。回りは公園になっ…

江西省

06 6月, 22:03, by admin
南昌     南昌は江西省の省都。   江西省は長江の中・下流域の南岸に位置する。   省の北部には、ハ陽湖が広がり、省の主な河川が流入し、北部の湖口で長江に通じる。   気候は温暖で多雨。農業が盛んで、米、菜種、甘蔗、棉花、茶、果物などの栽培が盛んである。   南昌は長江の支流であるカン江の東岸に開けた町。 <江西省歴史博物館>(こうせいしょうれきしはくぶつかん)   南昌市の中心、南昌市人民広場の南側にある。石器、銅器、鉄器、陶磁器、玉器などに分れて展示されるが、最も特徴的なのは、陶磁器である。   江西省における陶磁器の歴史は古い。6000年まえの粗陶に始まる。また、省内に洪州窯、吉州窯、景徳鎮窯などの窯を擁してきた。それだけに展示品も豊富である。六朝時代から唐代の青磁、宋代の影青磁、元から明代の青花釉裏紅など、中国の陶磁工芸の歴史を見渡すことができる。   また、「井崗山革命闘争史陳列」は、中国最初の農村革命…

湖北省

06 6月, 22:00, by admin
 武漢     武漢は湖北省の省都である。市街は武昌、漢陽と漢口の三鎮(町)からなっている。長江と漢水はここで会して流れる。優れた地理的位置に恵まれていて、昔から「九省に通じる所」とたたえられるように交通はとても便利である。3500年の歴史を有する歴史文化の都市として、自然と人文の観光資源は極めて豊富である。ここから長江に沿って上がれば三峡や神農架などの風景名勝区に行ける。 黄鶴楼   長江南岸の蛇山の上に立っている。湖南の岳陽楼、江西の滕王閣と並んで、江南の三大名楼と称されている。言い伝えでは三国呉黄武二年(西暦223年)に創建されたとされる。数多くの詩が詠まれているが、唐代の崔顥の詩「黄鶴楼」が有名。清光緒十年(西暦1884年)に火災により崩壊したが、1981年に清代の楼を元に再建された。現在の楼はコンクリート造り。高さは51.4mで、合わせて5層ある。 東湖   武漢の東郊外にある中国の国立風景名勝区。面積は杭州西湖の6倍の33k…

遼寧省

06 6月, 21:54, by admin
瀋陽   清朝発祥の地。瀋陽故宮は清の太祖ヌルハチが建てた後金の宮殿である。旧満州時代には奉天と呼ばれ、東京駅を模したと言われる旧奉天駅(現瀋陽駅)や旧大和ホテル(現遼寧賓館)も今に残る。日本が満州事変を起こした柳条湖は市の北にある。   現在は、東北三省最大の都市となっている。人口670万人。 <遼寧省博物館>(りょうねいしょうはくぶつかん)   旧称を東北博物館といい、瀋陽市和平区四経街にある。   もとは中華民国の東北軍熱河都統であった湯玉麟の邸宅として、ドイツ人建築家が設計したが、1931年満州事変が起って湯家が居住しないうちに占拠され、「満州」国立中央博物館奉天分館とされた。その後、第2次世界大戦終結後、瀋陽博物館と改称され、さらに解放戦争中に徴集された大量の文物を加えて、1949年7月7日に東北博物館として開館、1959年に遼寧省博物館と改称。   敷地は広く、中心をなす3階建ての建物は「…

吉林省

06 6月, 21:47, by admin
吉林市 長春から東に70キロ。吉林省の中央部にある。満州語で「大きい川沿い」の意味。町の中を松花江が湾曲して流れる。しっとりとした美しい町である。また、冬の樹氷の美しさでも知られる。 <阿什哈達摩崖>(アシハタまがい)    吉林市の市街東南15kmの阿什哈達屯、松花江の北岸にある、明代の2つの摩崖文字碑。   碑文には、明代の遼東都指揮司使劉清が3回軍を率いて当地を訪れ、1回目の時に竜王廟を建立し、また、造船総兵官を兼任していた3回目にそれを改修したことが記されている。   吉林市が明朝の造船・運糧基地で、黒竜江流域の統治と東北の開発に重要な役割を果たしたことを裏づける。 <猴石山遺址>(こうせきざんいし)   吉林市の北方2kmの山にある戦国時代の住居跡と墓地。松花江に臨む西側に猿がうずくまるようた形の岩があるので、猴石山という。   1万8000㎡にわたって山を取り囲むように100余りの住居址が点在…

黒龍江省

06 6月, 17:24, by admin
チチハル ハルピンの北西290キロ。嫩江の中流域にある。チチハルとは、少数民族のダフール族の言葉で「辺境の要塞」を意味する。周囲には草原が広がり遊牧が行わ れている。南の郊外には広大な湿原があり、渡り鳥など野生動物の宝庫になっている。 <清真寺>(せいしんじ) 斉斉哈爾市建華区にある。黒龍江省最大の回教寺院。東北には回族が少なくない。その回族の信仰を集める。 清の康煕23年(1684)の創建で、民族色濃厚な煉瓦・木造り。東西両寺が並立するが、西寺は破損がひどく、東寺は大殿と窯殿が現存。大殿は雄大壮観 で、磚に優美な鯉魚臥蓮の図案が施され、アラビア語で『コーラン』の聖句を記されている。 <竜沙公園>(りゅうさこうえん) 斉斉哈爾市内にある。 光緒23年(1897)に黒竜江将軍の程徳全(1860~1930)が軍営の倉庫の堆土をもとに、池を掘って公園とし、万寿亭・穆清花庁を相ついで建て、 築山に望江楼を建て…

山西省

06 6月, 17:19, by admin
大同 山西省北部、万里の長城の内側50キロの地点にあり、中国から見た北方の守りの重要な拠点であった。漢王朝成立間もない頃、劉邦が匈奴の王—冒頓単于 と干戈を交え白登山に包囲されるが、それもこの付近である。漢民族対北方の遊牧民族、今までに千回を超える戦争がこの地で繰り返されてきたという。 街を出ると、黄土大地に狼煙台のあとが点々と残る。 398年に鮮卑族の拓跋氏が北魏を建てる。その都が大同であった。やがて495年、孝文帝の時代に洛陽に遷都をするが、その間の百年に大いに繁栄をした。 雲崗の石窟もその間に造営が始められた。 戦争もあったが交易もあった。「茶馬の道」という。中国から北の蒙古方面に茶を運び、蒙古方面からは馬を買う、そういう交易が長く続いた。いまでも付近 で、六月に、馬の市が立つ。 良質の石炭を産することでも知られる。北魏の時代から「黒石」と呼ばれ、採掘されてきたが、いまでも、市の最大の産業である。全市2…

河北省

06 6月, 17:07, by admin
石家荘  河北省の省都。北京からは特快でも高速道路でも約三時間。 <河北省博物館>(かほくしょうはくぶつかん) 石家荘市内にある。展示面積1万㎡を有する省博物館。 河北省を中心に古代から近現代まで幅広く歴史文物と美術作品が収蔵されているが、その中でも平山県の中山王墓と満城県の前漢中山靖王劉勝墓からの出土品が 素晴らしい。 双方に共通して見られる美しい象嵌の施された青銅器や満城漢墓出土のの金縷玉衣などは逸品である。 <毘盧寺>(びろじ) 石家荘市郊外の上京村にある。 『方輿匯編』などの文献と境内に現存する碑碣によると、唐の天宝年間(742~756)の創建。釈迦殿と毘盧殿のみ現存。 釈迦殿は間口柱間3間、奥行柱間2間、切妻造りで、前に巻棚がある。釈迦坐像を1体安置し、四面の壁に仏教説話に材をとった絵を描く。 正殿にあたる毘盧殿は釈迦像の背後の高さ1mの基壇に建ち、間口柱間3間、奥行柱間2間で、前後…

山東省

06 6月, 16:36, by admin
山東省の省都。黄河の下流域、四千年前に栄えた龍山文化の発祥地のひとつ。春秋戦国時代に斉国の都であった。漢代に済水の南に位置することから済南と呼ば れるようになった。済水はいまは大清河と名を変えたが、黄河の氾濫などで川筋は時代により何度も変遷してきている。 古来より水の都として知られ、町のあちこちに泉が湧く。済南72泉などという。 <山東省博物館>(さんとうしょうはくぶっかん) 市の南、千仏山の麓にある。1955年に新中国初の省クラスの博物館として正式に設立。翌56年に地志的な基本陳列を完成し開館。8000点余りの自然科 学関係の標本と13万点余りの革命・歴史関係の文物を収蔵する。 歴史の古い山東省だけに、七千万年前の山東恐竜の化石、四十万年まえの猿人の化石、四千年前の龍山文化の陶器、春秋戦国時代の「孫子」「管子」「墨子」な どの古籍など多彩。 <?突泉>(しゃくとつせん) 済南市の西門橋の南方0.5k…

天津市

06 6月, 16:10, by admin
中国4直轄市のうちの一つ(他は北京、上海、重慶)。略称を津といい、華北平原の東北部に位置し、東は渤海に臨む。 春秋戦国時代には小さな漁村にすぎなかったが、隋代に大運河が造営されると、海上輸送と河川輸送の中継点となり、穀倉地帯である江南の食糧を北京へ運ぶた めの役割を担い、明・清時代を通じて大きく発展をした。 明の建文元年(1399)に燕王朱棣(のちの永楽帝)が北京で挙兵し、この地で黄河を渡り、南下して政権を奪敢すると、「天子の渡った津」の意をとって天 津と命名するとともに、永楽2年(1404)に天后宮の西南数十mのところに築城した。現在の南開区の東西南北の4本の馬路(大通り)こそ、その天津古城 の城壁の跡である。 第2次アヘン戦争(1956~60)により、1858年に天津条約、1860年に北京条約が結ばれると、列強諸国は、北京に近いこと、良港を持つことに目 をつけ、天津の開港を迫った。その結果、9カ…